◇ X100との付き合い方
デザインや操作性はいまだにどうも馴染めないが換算35mmF2に近い描写が手軽に手に入る。それが高感度でも変わらないというメリット。つくづく惜しいカメラだな・・・と思う。
その昔、カメラは普通は一家に一台、ちょっとカメラ好きのお父さんがいて記念行事があるごとに出番があって家族の記録写真や記念写真を残していた。
そのカメラは普通の人が手が出せなかったニコンやキヤノンなどという本格的なカメラではなく、コニカとかフジとかのリーズナブルでどちらかというとファミリーユースの庶民的なカメラだった。
そういう使い方ならばX100はちょうど良いのではないか?昔流で言えば日常の記録や記念写真を普通に残すカメラ。
現代の何でもカリカリに写ってしまうパンフォーカスなコンパクトカメラの硬い絵ではなくそこはかとくボケる緩い絵。大昔のアナログ時代の頃は意外とそういう絵が当たり前だった気がする。
しかも過度に?クラシックなデザインのおかげで逆にその場の空気感もユルいものに変えてしまう。デザインとパッケージングが独特の空気感を醸し出している。
特に人物を撮るときにこのカメラは程良い空気感を作ってくれる。ライカほど格好をつけず、手間もかからず、しかも相手にも余計な気遣いや威圧感を与えない。
先日もとある場所で人物の記念写真を撮ったときにあえてコンデジのように背面モニタで構図とピントを合わせて撮ってみた。ファインダーを覗いて生真面目に撮るという空気ではなかったので・・・結果は良好だった。
X100で背面モニタ?と思われがちだがこのカメラは意外とファインダーと背面モニタとを上手く使い分けるとその場の空気感を損なわない場合が多いし、アングルの自由度も増す。
未完成なOVFと近距離で迷うことが多いAFのことは忘れ、EVFオンリーで程良い距離のAFで撮ればこれほどヒット率の高いカメラは無い。光量がそれほどでもない内蔵ストロボも人物の記念写真には良い味付けになる。
奇しくも自分としてダメ出ししたデザインやファインダーが結果的には別の価値を生み出している。考えてみればカメラという道具は撮る側の理屈ばかりがまかり通る。
常々言っているが今の一眼タイプのデザインのカメラを仕事以外で日常的に振り回す勇気と無神経さは今の自分には無い。あれは撮る側の論理のみで作られた見方によっては武器とも言える。
撮られる側、特に人やその場の空気感までを考えたカメラというのは意外にないのではないだろうか?唯一M型ライカだけが結果的にそれに近いカメラとも言えるがそれでも小さくはないし、仰々しいときもある。
X100はそんな見方をすると意外に活躍する場があるのかもしれない。
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