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2011.05.16

◇ 三度目の・・・

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LEICA M9 / NOKTON 35mm f1.2 Aspherical

R-D1の頃に一度目、M8の頃に二度目。レンズ遍歴を重ねていく中で何度も同じレンズを手にしてしまう愚行はベテランの方たちならば経験されていると思う。

そうと分かっていても今回はフルサイズでこの唯一無二の35mmを使用できる思いには勝てなかった。このレンズとはこれで三度目の出会いとなる。まったく・・・

ノクトンという響きはやはり他のレンズにはない響きがある。他で思い浮かぶのは同じ意味を持つノクチルクス。どちらも暗闇の中の僅かな光を感じるレンズ、と理解している。言い得て妙の名だ。

35mmで開放F値1.2というスペックは魅力である。R-D1やM8の頃は換算で約50mmだった。そこにはF値1.0というノクチルクスが居た。しかし、35mmでは正真正銘世界初にして唯一無二。

今年の初めにディスコンのアナウンスがあり、直後に市場から姿を消した。これでこの唯一無二の銘玉も無くなってしまうのか?と残念に思っていた。

ところが2月のCP+で新型の二代目が突然発表になり、驚きを感じたがその姿を見たとたん新型ではなく初代の方に好印象を持つようになってしまった。

写りはおそらく微妙な違いだろうが新型の方が上回るかもしれない。しかし、コシナ製ツァイスに似たネームリング周りのキンピカデザインはあまり好みではない。

その後、発売アナウンスもないので初代が今のところ唯一無二の存在を守っている。私の経験では写りについてもライカのズミルクス35mm ASPH.とほとんど区別はつかない。

あえて違いを言えばズミルクスの方が開放時の中心部のシャープさが鋭くボケが柔らかく大きいので巷で言われる立体感伝説になっている。反してノクトンの開放時は中心部とは言え少々甘く、ボケも思いのほかボケない。

要は同じ35mmでも被写体によって使い分けることが理想の2本だ。だがそれも開放時でのこと。絞れば違いを区別することは困難であり、また意味も無い。

今更感もあるがライカにも無いF1.2というスペックの35mmをフルサイズ35mmとして撮影できることは当たり前と言えばそうだが改めてM9に感謝だ。

これでセンサーサイズの違いが生む度重なる再会という愚行は終わりになりそうである。


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2011.05.13

◇ I Love Noctilux

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LEICA M9 / Noctilux 50mm f1.0

このレンズと付き合い始めて5年ほどになる。ライカを使い始めた頃からの憧れのレンズ。初めはフード内蔵タイプをまだ価格が高騰する前に新品で購入した。

その後すぐにそのひとつ前のモデルのフック式フード外付けタイプ、E60でネームリングがLEICAのタイプに買い換えた。買ったばかりの新品から中古へ交換したのでその当時のショップの店長が呆れていたことを覚えている。

中古といっても前オーナーがM5とセットで購入してほとんど使っていなかったデッドストック。M5とともに元箱付きの新品に近いものだった。同じモデルを友人に見せられ、一目惚れして出モノがあったら絶対に欲しい!と思っていたレンズ。

このタイプが歴代ノクチの中でも一番美しいフォルムだと思う。このレンズでぜひポートレイトを撮りたかった。購入当時はMPとR-D1で後輩などを片っぱしから撮った記憶がある。

往々にしてレンズに撮らされてしまう場面も少なくないがそれでもこのレンズにしか撮れない絵があり、出入りの激しい私のレンズラインアップの中でもおそらく死ぬまで手元から離れないレンズのひとつだ。

今はM9に付きっぱなしになっている。M9は50mmが一番しっくりくるカメラで出番が多い。今は他に50mmを所有していないので自然とこれが付きっぱなしになっている。

デジタル時代になってノクチ風の写真に仕上げることはそう難しいことではないがこのボケ味と激しく周辺落ちする独特の絵は撮っているときのマインドが違う。

実は以前、日暮里の名人から3年くらい使ったらメンテナンスした方が長く使えると言われていたがいまだに出していない。なぜなら現在M9との相性が最高のコンディションだからだ。

これほど気持良くビシビシピントが合うコンビはなかなか無い。レンジファインダーの世界ではボディとレンズとの相性が存在する。どんなにお気に入りのレンズでも相性が悪いとピントがなかなか来ない。

メンテナンスを超えた世界が存在する。ゆえになかなか手元から出せない。それでも長く使いたいのでそろそろと考えている。

ただ、50mmが手元から無くなるとこれも困る。悩ましいものだ。


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2011.05.11

◇ 節目に思う

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今日で大震災からはや2カ月が経つ。3.11の出来事で多くの人々の人生が翻弄され、大きく変わったと思う。

それでも様々なところで新たなスタートが始まっている。自身のことを思えば10年ごとに大きな節目があった。1980年就職、1990年大きなプロジェクト、2000年フリーランス、2010年人生のパートナー・・・

会社員時代にはたくさんのストレスにさらされていたが今は仕事上のストレスは皆無。溜まっていく納品予定のリスト以外は・・・

会議も満員電車もノルマもない。そのかわり自分が感じ、考え、行動しなければ何も始まらない、そして生きていけない。とてもシンプル。でも会社員時代より遥かに張り合いがある。

好きな写真で食べていけることは幸せ。そしてありがたい。今は心底そう思う。昔は一番フリーランスに向いていないと自他ともに認める会社人間。

こういう人生になるとは夢にも思わなかった。母親との長い介護生活の結果、44歳にして会社勤めを辞めざるを得ず、しかしそのお陰で今の自分がある。良くも悪くもそういう定めだった。

震災の被害者の方々には安易な言葉はかけられないが、災い転じて福となす、人生とは表裏一体。変わってしまった環境で何を感じ、どう行動するか?だと思う。

人はそういった環境でどう行動したかでモノの見方や考え方、その後の人生の方向性まで変わってしまう。

写真を生業にしている自分にとってそういった人生というフィルタを通して五感で感じた光景に素直にシャッターを押す。私にとって写真とはそれ以上でもそれ以下でもない。

そう感じることができるのも大きく変わらざるを得なかった人生の節目というものがあったからこそ。それはどんな人にも起こり得る。

節目が大きければ大きいほどその後の行動次第で得るものは大きなモノになる。そう信じたい・・・


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2011.05.02

◇ たとえ自己満足でも・・・

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FINEPIX X100

施設を訪ねる時、いつも頭をよぎるのが3年前に母親にウソをついてこの施設に入れてしまったこと。あの当時は一人ですべてを抱え、仕方なかったとは言え、今でもこころのどこかに小さな棘のように突き刺さっている。

「忙しいからしばらくここへ泊って欲しいのだけれど・・・」と伝えたとき、母親は軽い気持ちでここへ来て、いずれ早い時期に自宅へ帰れると思っていたはず。

それが一か月経ち、三か月経ち、そのあたりでおそらく母親は気がついたのだろう。半年過ぎる頃には自宅へ帰りたい、と毎日のようにゴネたらしい。

しかし、今は全てを理解したかのように、あるいは諦めたかのように自宅へ帰りたいとは言わなくなった。母親の気持ちを考えると棘が痛い。出来るなら自宅へ戻してあげたい。

だが、現実はそう甘くはない。入所時に比べ、さらに老いは進み、車椅子無しでは身動きも取れず、トイレも一人では行けない。そんな母親を情だけで自宅へ戻すことはお互いの為にならない。

長い自宅介護から開放されたおかげで、私も良きパートナーに恵まれた。彼女は出来れば今の自宅で一緒に生活をさせてあげたい。といつも言ってくれる。ありがたいことだがその困難さを考えるとなかなか踏み出せない。

施設へ面会に行くとしばらくは顔の表情もぼうっとしていて覇気が無い。自ら感じて行動できない環境では人間はみなこうなってしまうのだろうか?

だが大好きな甘いものをお土産に持っていったり、可愛がっていた愛猫の姿を見ながら昔話をしてあげると表情が蘇ってくる。目の色も変わってくる。

そんな母親の為にと、発売と同時に手に入れたiPad2。待ちに待ったFacetimeを使って愛猫のリアルタイム映像を見せると母親の指が自然に伸びた。

母親自身はもっと別のことを望んでいるのかもしれない。こんなことしか出来ない自分が歯がゆい・・・でもここが母親にとって最良の環境だと信じるしかない。

そう思いつつ、自分自身のこころの棘を少しでも和らげたいという自己満足なのでは?という自身の奥底の声に葛藤する日々だ・・・


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